僕は今日 リンゴの木を植える

思いついた物事とその記録

ラベル

この人の言葉の一つ一つにきっと深い意味なんてない。僕だって、そう。普段からいつも何か特別な意識をして人と話すことなんてそんなにない。機械を使ったメッセージのやり取りであってもそれは同じ。言葉はいつも、重さなく発され消えていく。人はきっと言葉というものを本人達が思っているよりもずっとゾンザイに扱う。
 

今したい話は、こんな話じゃない。
 

なぜ僕は、こんなにもこの人の言葉を気にしてしまうのだろうか。絶対に気にしないような、一つ一つの何気ない言葉が妙に気になることがある。この人に限っては。

そういう意味では、彼女は言葉に重さを与える天才だ。いっそそういう仕事をすればいい。でも今の仕事は先輩も優しくて好きな仕事らしいから無理にはすすめないでおく。
 

さて、


後ろ向きの思考でも、暗い話でもない。むしろ明るい話だ。こんな気持ちはずっと続けばいい。本当にずっと続けばいいと思う。ずっと好きで大事で、かけがえのないものであってほしい。でもそれは彼女の問題じゃない。僕の問題。つまり「あってほしい」じゃない。僕が彼女のあらゆる側面をどう見るか、捉えるかでそれは変わる。それにきっと彼女はいつも変わらない。これからも、変わらない。気まぐれでどこかふわふわしているのに真っ直ぐで、時に尖った人。実は頭が良くて、礼儀正しい人。そんな人であり続ける。彼女はこれからもありのままであり続ける。そんな人なんだろうってことが僕にはわかる。
 
他の人ならきっと、「身勝手」とか「わがまま」とかそういうラベルを僕は貼っただろう。でも僕は彼女にそんなラベルは貼れない。彼女は唯一無二で、ラベルなんていらない。他の人とは絶対的に何もかもが違う。
 
彼女は時の流れも変えることができる。彼女といると24時間なんてものは体感速度30分くらいになる。仕事の8時間は3日くらいの長さに感じるのに。でもそれは仕事のせいじゃないってことを僕は知っている。ここ最近は、一人でいてもだいたい同じくらいに感じる。しかしそれは言い過ぎた。そこまでは違う。一人で本を読むのは好きだ。だから今のは間違い。さらに僕は音楽も楽しむことがある。2つの「文化的活動」は比較対象ではなく別の遠い位置で独立した部屋を持っている。時の流れは彼女と読書と音楽、その3つの部屋の間を同じ早さで流れる。でもそれ以外は流れの中でずっとゆらゆら漂っている。一つの大きい部屋には粗末に乱雑にいろんなものごとが押し込まれている。
 

彼女は時の流れを操る天才かもしれない。いっそそういう仕事をすればいい。でも今の仕事は先輩も優しくて好きな仕事らしいから無理にはすすめないでおく。