僕は今日 リンゴの木を植える

思いついた物事とその記録

協調性

人前で泣いたのはいつぶりだろう。
中学校、いや、小学校、いや、初めて幼稚園に行った日以来ではないだろうか。母と離れるのが嫌で泣いていた日。すると先生が絵本を読んでくれた、いつの間にか泣くのを忘れていたあの日。本の内容は赤鬼と青鬼が最後には仲良くなる話だったか。そんなところだった。
 
時は再び現在。現代。今日。
 
実は僕は待合室にいるときから泣いていたのだ。
いや、本当はもっと前から泣いていたのかもしれない。せかせかとせわしなく動いているとき、夕食を食べてるとき、寝ているとき。
 
いつも何かが追ってきていた。逃げるものを本能的に追いかける犬のように、それは僕を追っていた。それは何かどこかに無邪気さのようなものをそなえていた。しかし追われているものはそこに無邪気さなど感じない。そこには確実に恐怖がある。逃げきれなければ、なにかすごく恐ろしいことが待っているのだ。だから必死に逃げる。嚙まれないように。
 
僕はもう逃げなくていいんだろうか。追ってくるものは消えたのだろうか。
 
涙を流すことだけが泣いていることではない。
 
僕らはもっと、泣いている誰かに気付いてあげないといけないのかもしれない。歩きながら、電車に揺られながら、笑いながら、泣いている人はきっといる。想像しているよりもたくさんいるに違いない。
 
それはきっと、人と人との協調性だ。
 
「協調性」